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スタッフ紹介

住宅事業部

孔 令宇

女性の視線でお客さんに提案、
幸せに暮らせる家作り~
こう れいう
孔 令宇(日本が大好きな中国人です)
生年月日:1978.2.21
趣味:絵描く、手芸、料理、ダンス、合唱

もともと小学校の教師でした。2002年来日して、宇都宮大学に教育研修で入学。
その後、日本のことが大好きになって、日本に永住しようと決心しました。

 

 

ちょっと長い自己紹介:

 

1、幼い頃の私

 

中国の東北地方の吉林省に生まれ育ちでした。幼い頃、中国はほとんど平屋が多くて、 冬場は一番寒いときには気温が-40℃を超えます。みんな薪ストーブでご飯を作って、 部屋を温めて、部屋の中が寒いと感じた記憶はほとんどなかったです。
その時代はみんな健康でアレルギーも聞いたことがなかったです。

4,5歳から絵を描くことが大好きで、いつも新聞に載せた人物を鉛筆で真似して何時間も動かないで書いていたらしいです。
段々時代が変わってきて、平屋がなくなって、みんなマンションになりました。
昔の一軒家が懐かしいなといつも思っていました。

 

 

2、来日後泣くばかりの日々

 

卒業してから、親のいうことを聞いて小学校の教師になりました。頑張り屋の性格で成績が一年でかなり上がって、 日本での教育研修のチャンスを得て来日しました。

2002年宇都宮大学に入って、日本語も勉強したことないので、最初は毎日泣いて過ごす日々でした。言葉も、道もわからなくて、交通手段は歩くだけで、通信手段も一切ない世界に入りました。

迷子になったり、病気で病院に行けなくて我慢したり、交通事故だったり…
たくさんのことがありました。ずっと親に過保護された私は急に何もできない自分を認識できました。

それから、日本語の猛勉強を始めました。
日本に生活するには日本語がわからいと生きていけないとわかりました。毎日18時間以上勉強した原因で、腰が痛くて、座れませんでした。みんな教室の前に座って自分が後ろで立って授業を聞きました。

宇都宮大学で日本語勉強して、教育を研修してから半年、実家が投資失敗で、すべての財産が無くした上で大借金も残っていることがわかりました。
それから借金を返すため、奨学金をすべて貯金と毎日学校以外、長いアルバイトを始まりました。

最初は時給800円のレストランのアルバイトでした、その時留学生のクラスメートみんなまだアルバイトしていません。
その後日本語の成長とともに、時給1500円の中国語講師になり、その時クラスメートたちは時給800円のアルバイトスタートしました。
その次、時給2000円の通訳と時給3500円の講師になり、またその後時給6600円の通訳になり、最後東芝の専門通訳に固定されました。(その時、同時一緒に日本語を勉強していたメンバーはみんなずっと最後まで800円のアルバイトで最後帰国しました。)

いきなり専門通訳になって、すべてわからない専門用語でした。
はじめてテレべ会議の通訳するときに一言も通訳できなくて、泣きました。そのご一か月経ってからゆっくり通訳ができて、3か月で普通のスピードで通訳できました。実は毎日夜中まで暗記しました。絶対次同じ言葉出るときにわからないことないようにと決心しました。

借金も返済がほぼ終わって、仕事も順調でした。
本当に頑張ればできるとわかりました。

 

 

3、生きるのも辛い時期と仕事の大成功

 

2年間あっという間に過ぎて、日本のことが大好きになって、ずっと日本にいる決心をしました。

若い自分が日本のことあまりよくわからないままで、沢山大変なことがありまして、最後はうつ病までなりました。
やっと立ち直り、新しい仕事も始まって、しばらくすべて仕事に入り込む時期が過ぎて、仕事が大成功な時期が殺到しました。

日本の緊密自動システムキノコ工場の建築技術と生産技術をセットで、一生懸命海外に開拓して、最初は中国メインで、何億のプロジェクトの実績をいくつか作ってから、全世界あちこちから問い合わせが来ました。
給料も高くなりました、立場も部長になりました。

無農薬のきのこを年中生産できる工場作ることも貢献とも言えますが、仕事も絶好調に見えますし、ただどうしても自分の中に何かが足りないとずっと感じていました。

 

 

4、運命の出会いと人生の選択

 

前から何が社会に貢献できるような仕事がいいなとずっと思っていました。そして、仕事に絵を描くことができたらいいな~、デザイナーになりたいなとずっと思いました。

その時、自分の家がほしいなと思って、総合展示所をいっぱい回しました。結局は満足できるハウスメーカーがなかったとのことでした。

その時に会社の社長から無添加住宅はどうですかと紹介されました。
実は社長も無添加住宅のファンで、8年前から事業にしたいと思っていました。

その後、神戸の無添加住宅の本部までみに行きました。その時、思わず感動しました。私は探していたのはこれだと感じました。自分の家を作るだけじゃなくて、こんなにいい家ならばすべての人に紹介したいと思いました。

 

 

DSC_3282(1).jpg タイルと石(1).jpg なんき_5730(1).jpg 無垢収納.jpg

しっくいの壁、子供とペットも安心できる無垢のフローリングと建具、一滴も化学物質も入らない昔のような家+私の大好きな薪ストーブ、温かい昔の家に戻った感じですね~しかもヨーロッパ風なおしゃれな家^^

 

 

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左:私 右:無添加住宅の秋田会長(伝説の人物)
秋田会長の話を聞くと本当に尊敬します。いろんな知識を学び、本当に勉強になりました。
ただ、その時にすごく悩みました。既にゼロから開拓して、しかもかなりうまくいってる海外事業を手放すことがなかなか勇気が必要でした。
一旦決心してから、自ら会社に推薦して、無添加住宅事業をスタートしました。

 

 

5、無添加住宅を選んだ今

 

無添加住宅を初めてから、一番自分が実感したことがあります。漆喰と無垢材でリフォームしたショールームで仕事をしていたら、年中詰まっていた鼻が通るようになりました。
頭もいつも重い感じがしていましたが、それも消えて回転も速くなりました。でも夜に家に帰ると(今大手ハウスメーカーの賃貸に住んでいます)やっぱり鼻が詰まって寝れない日々です。
早く自分の無添加住宅を作ろうと思っています。無添加住宅を事業にしてよかったです。今の自分は体も心も元気になりました。やりがいがある事業に本当に感謝します。

今、自分の夢ができて、夢を現実に変えることに専念しています。今まで絵を描いた経験を生かして、住宅のプランを描いたり、いろんなアイディアでお客さんに適切な提案を考えたりしながら、無添加住宅の本部の研修をたくさん受けて、無添加住宅の基本から建築の知識や、設計の知識などなど、スポンジみたいにいっぱい吸収しています^^。

 

来場したお子様 来場したお子様 来場したお子様

 

来場したお子様と

お客さんに子孫代々に資産を残せる健康になる=幸せな家を作るために、頑張っています。

 

AJホーム AJホーム

AJホームのロゴをいろいろ書いてみて、上の絵は今のロゴの由来です^^。
今毎日いろんなデザインを描いて、すごい楽しく仕事をしています。

 

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お客さまと一緒に、お客様の夢を叶うように、心も無添加で力尽くしていこうと思っています。
是非私ども無添加住宅AJホームにご用命ください。

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